理論値と現在地と理想

人に教えると、ふと過る

他人に何かを教える時、
「自分って偉そうだな」と時々思う。
時々っていうのが味噌で、全体の9割方そんな感情は流れない。
ただ、困ったことに偉そうって思ってしまうことで、
詳しい説明を躊躇して、答えだけを教える傾向にある。
なので、流れないときの状況を考えてみた。
偉そうだと思わない。
そんな状況下に身をおけば解決するかもしれない。

偉そうだと思わない状況

  1. そもそも余裕がない時
  2. 自分の中の当たり前を通り越した時
  3. 教えることに集中している時

今のところは、この3つだろうと思う。
1の状況では、間違いなく答えのみを教えるという選択肢をとっているから、
今回の問題を解決する上で役に立たないだろう。
偉そうだと思いたくないなら、「すぐに答えを教えろ」という結論になってしまう。
2の状況では、教える相手が相当ポンコツで自分が異質な世界にいるという条件ではない限りは、意図的におこすのは現実的に無理だろう。
というか、もしそんな状況下に置かれ続けたら、 発狂する。
3の状況は、この状況にしようと努力はできる。
だが、無理だ。

さぁ、困ったもんだ。(終わり。)

カバーの裏

第4の条件を考えたら?

それは、無理。眠い。

タイトルと記事の関係性は?

特にない。
最近、ブログのタイトルと内容は必ずしも一致させる必要がないと感じてきたよ。
技術記事じゃないんだから。
おみくじ的なコンテンツだよね。
大吉って書いてあるのに、内容は微妙なやつみたいにね。

一応タイトルの意味を教えて

他人に教えるときは、まずその人の現在地を知ろう。
自分が勉強する時にみたいにね。
その現在地から、目に見える形で一歩ずつ踏み出す必要がある。
世間の熱い期待をコントロールするために。
人々は、その熱い期待をいつの間にか、理想という名の理論値に変えてしまう。
きっと頑張ればそこまで行けるだろと。
人は、その理想謎理論から生み出した基準を無自覚に強要することがあるよねって話。

結局何が言いたい?

僕、気を付けます。強要しないように。
やればできると本当にできるってのは、違うんだよな~。