筆を執るか、僕を取るか

当たり前だが、僕を取る

久しぶりのブログである。
理由はさておき、非常に眠い。
まさに筆を執るか、僕の睡眠欲求を取るかだ。
それでも、不要でコスパの悪い考え事はするわけで、
今日は考え事でも、文字にしようと思う。
(今日に限らず、いつもです。正常です。)

急に始まる今日の一句

今日の考え事が、表せる句がある。
川を眺めていたら降りてきた。
という風に書けたらかっこいいのだが、少しその後手を加えた。

我ひたる  水面を打つ音  雨を待つ 

この句は、「ひたる」という言葉に
・雨の音に浸る自分
・気づいたら雨に濡れている(浸る)自分
という違い2つの視点を意味としてのせた。
(意味を解説するとかこっぱずかしい。AIにでも評価させてみるか。たぶん、やらない)
現状の自分と今に対してある種の楽さに身を任せている自分の状況を重ねたつもりだ。
たしかに、雨音は心地よい。
ただ、目の前で降っている雨は、こちらにやってくる。
水面を写真で取ろうと集中している間に、ずぶ濡れだ。
知らない間に、雨に降られる。
今の自分は、きっとそんなもんだ。
雨から逃げるなら、聞きほれている暇はない。
雨に濡れるつもりでも、覚悟はしないといけない。
選択する日は、きっと近い。

この句と説明の中に生まれる違和感 。

雨を待っている?
なぜに。諦めたのかい。
もう雨に濡れている?
なら、すでに手遅れではないか

これには、少し説明を。
今の状況を、天気に直せばどっちつかずの「くもり」である。
(「どっちつかずのつもりである」と対になってなんか面白い。ドラマの主題歌確定だね。)
という事から僕は、いつも思う。
雨・晴れという選択肢は変わるという意味ではさほど変わらないではないかと。
どこかへ踏みだした僕は
心地よいタイピングの音を響かせながら、楽しくエンジニアとして生きていくのだと。
そして、優越感 感慨に浸るのだから。
だから、この句の正しい読みは、「雨を待つ」「水面を打つ音」「我ひたる」。
それでも違和感?
そう感じた君は鋭いよ。
中七が8文字だから。
ここには書かない。眠いから。

後書き

やんでないよ。(病んでないよ)